テーマ: アンリ4世 Henri IV de France |
updated on 5Feb.2006
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Photo by antonio jr 77 ポン・ヌフにある騎馬像
![]() 最初の奥さんは マルグリット・ド・ヴァロワ(アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス妃の娘で、4人のお兄さんたちは当時の王様だったり次の王様だったり)。 いわば由緒ただしい旧家ナヴァール家から、彼はヴァロワ王朝のお嬢様に婿入りしたわけだ。
が! ここで彼は 史上空前?の、かっとばした豪腕女傑のお義母さんをもつハメになった! というのは 彼は新教徒(ユグノー)。 このお義母さん、どうも婿(ユグノー)と娘マルグリット(カトリック)の結婚式を、和解のように打ち出してこの政略結婚を企画したわけだが、その実、これ以上ユグノーの勢力拡大は望まない。ちょうどユグノーたちがパリにのこのこ終結してくれるならこれ幸いだわ、対立している邪魔なユグノーの代表者・指導者、改革派貴族を 始末するのよっ・・・・(というようなこと)考えていた。
この結婚式の二カ月前に、アンリ婿の 実家領地でナヴァール女王として腕をふるっていた母が、パリでカトリーヌ義母と面会した直後に急死。アンリは急遽ナヴァール王となる。(これまたカトリーヌお義母さんが毒殺暗躍説あり、解剖さわぎとなった)
で、挙式のあと、悲しいかな、披露宴に来るためにパリにきてくれていた婿はん側の親族ほか関係者、ユグノーが3日間で 数千人(5千人という説もあり)虐殺された。これがフランス史上最悪といわれる”サン・バルテルミーの大虐殺”である。糸をひいていた(といわれる)カトリーヌお義母さんは”フランス史上有名な悪女”の一人と後世評された。
で、ヴァロア王朝最後の王アンリ3世(つまりは義兄たち)が暗殺されたあと、すったもんだがあって後、勝ち残った彼は アンリ4世 として即位。
いろいろ事情があって、プロテスタントからカトリックに改宗。歴史でならった ”ナントの勅令”をだして、プロテスタントとカトリックで争う宗教戦争に一区切りうった。(これも彼がフランスではウケがよい理由のひとつであるとか) その後、お気に入りの妾を王妃にしたくて、別居していた奥さんマルグリットとの結婚を無効にもちこみ、(結局 妾さんは死んでしまった) したが、最後は、また由緒ただしいイタリア・メディチ家のマリーを迎え再婚している。(お義母さんと同じ家系やね)
内政では、賢政をしいたといわれる。過去のやりかけのいろいろなプロジェクトを実行にうつし(ルーヴル改造など) 芸術振興、パリの都市改造、経済の建て直し、産業・農業の振興などに手をつくした。国民の幸せを願ったとして、今でもフランスでもっとも人気がある王様の一人だそうだ。 最後は、市民のなかに入っていく姿勢が災いして、パリで精神異常の市民に暗殺された。サン・ドニ大聖堂に埋葬。 彼の死後、後妻のマリーはやはりメディチ家から送り込まれただけあって、淀君ばりに、幼い王子の摂政としてがんばっていく・・・・
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ちなみに 彼の奥さんマルグリットを主人公に アレクサンドル・デュマが 名作「王妃マルゴ」(Chunの図書館>歴史参照)を書き、映画化されている。このあたり、日本と同じで 歴史大荒れのときは 女太閤記状態なのか。 |
興味があれば、結婚式をあげた ノートルダム寺院、鐘が虐殺の合図になった サンジェルマン・ロクセロワ教会、サン・ドニ大聖堂へ。 |
ちなみに日本は 1592〜93年ごろ豊臣秀吉が朝鮮侵略をし、1603年家康が江戸幕府をひらいたころのお話。 |