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Vosne-Romanee ヴォーヌ・ロマネ村
         updated on 3 Jan.2008

 
 
 
 
 
N74に乗ると今回の目的地の一つ、ヴォーヌ・ロマネまでは一直線。

だんだんとぶどう畑が見えてきて、15:00頃に余裕で到着。・休み中だし有名な村だから結構混むのかとおもいきや、何組か旅行者が散策しているくらいでひっそりだ。 
  
つれはうきうきでぶどう畑へ歩いていった。私達の住んでいる所は近くにぶどうの生産地があり、ぶどう畑はみているが、ワイン用はやはり様子が違う。結構石がごろごろしているものだ。 
  
飲んだことはないけれど、ロマネ・コンティ畑の前でパチリ。本当に小さな畑で希少価値が高いんだろな。 
  
空は高く、聞こえてくるのは虫の声と、少し遠くに走るN74の車の音のみ。暫くぼーっとしていた。気持ちいいなあ。 

(2004年8月 ちむ様 ) 

コート・ド・ニュイへ。N74には入らず、D122へ。 

ヴージョへ。シャトー・ドゥ・クロ・ド・ヴージョには観光客多数。展示物を観て、売店を物色した後、細い畑道を車で行くと、、、 

有りました。ロマネ・コンティ 

ごく普通の葡萄畑ですが、記念撮影をして、狭い畑を見回し、「名前は知ってるけど、いくらで買えるのか?」と素朴な疑問。近くの醸造家に寄ろうという考えは持てませんでした。 

帰国してネットで見ると37万円から45万円。もっと高いのもあるんだろうな。その後びっくり。91年ものはパリで450万円ですか!? 

(2003年8月 CALYASU様 ) 
 

ディジョンからボーヌにかけて、ワイン街道(N74号線)を走り出す頃には雲行きが怪しくなった。雨がぽつぽつ降り出す。それでもブドウ畑にグラン・クリュの看板を見かけると、写真撮影。 
  

本とミシュランの地図を見比べながら、「ここは、ジュヴレ・シャンベルタンらしいよ」などとしゃべっているうちに、ロマネ・コンティの村、Vosne-Romaneeを通り過ぎてしまい、引き返す。 

木立の並ぶ赤い道をごとごと進んで、村へ入る。どこを見ても見渡す限りのブドウ畑aBヌれがロマネ・コンティの畑なのかわからないし、雨も大粒になってくる。 

私があきらめようと云おうとしたら、夫が「あれだ!」と十字架の塔を指す。降りてみたら、塔の脇の石壁にさりげなく、“ROMANEE CONTI”の文字が。

世界的に有名な場所なら日本であれば、看板だののぼりだのたちまち俗っぽくもなりそうだけれど、そんなの一切なし。人影もなし。なんでも商業化してしまう日本に比べて、このそっけなさが小気味いい。 

「この小さい畑だけに、ロマネ・コンティが生み出されるんだねえ」とちょっと感慨にふける。6千本くらいしかできないそうです。

(2003年6〜7月 tomyuki ce様)
 

目指すは、ロマネ・コンティの畑。

辺りはどんどん暗くなっていくが、私達の車は快調にぶどう畑の間を走り抜けた。途中、ニュイ・サン・ジョルジュの村が、少しだけ賑わっていたが、寄り道はせずに、目的地へ向かう。
 
それでも、ヴォーヌ・ロマネ村についた時は、ほとんど、夜だった。

村の教会の近くにバス停のような小屋があり、そこにヴォーヌ・ロマネの畑地図があった。


 

目的の畑名のボタンを押すと、地図上にランプが点く。ロマネ・コンティの畑がどこにあるかは、すぐにわかった。この暗い中を徒歩で散歩する勇気はなかったため、車で移動した。

夜なのに、同じような観光客はいるものだ。
 
真っ暗闇のぶどう畑の中、なんと、先客がいた。
 
彼らが戻って行ったのを見て、私達も、そこまで車を進めてみる。そこに、畑の名前が入った小さなプレートがあった。

私「これって、ロマネ・コンティの畑に来たってことになるの?」
 
夫「来た。証明写真も撮った」
 
まぁ、嘘ではないですが。。。

真っ暗な同じ道をたどって、ボーヌに戻った。でも、全く食欲がないので、夕飯という気分ではない。ワインを買って、夜間戦闘して、早々に宿のあるソーリューに向かうことにした。
 

(2002年12月 azumi@az様)


 
 
 
 
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