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France 治安・防犯・トラブル

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テロ、大規模災害・騒動 後に出発するとき 
          
23-27 Jan. / 3 Feb.2013 経験談追加
14 Nov.2015 経験談追加
 

求められる情報の性質上  「(自分の行ったところは)大丈夫だった」 という経験談は
こちらには特に 載せていませんので、ご了解ください。



2015年

テロ事件の影響が濃いらしく、美術館などのセキュリティーが厳しくなったと感じた
警官も勿論いたが銃を持った迷彩柄の服を来た人も大勢いた。しかしそれ以上に怪しい輩もうようよ。
(2015年9月 ロザリーの末裔 様)


フランスで複数のテロがあった後だったので、なんとなく怖かった。
行ってみると怖い気持ちは消えていたが、いつもより、周りに気を配った。
デパート入店時は、ガードマンによる目視チェックがあった。
以前はこのような事はなかったので、テロへの警戒として安心感があった。
(2015年7月 王子とマカロン 様)


(2015年8月 アムス〜パリ間 タリスで銃乱射事件を受けて)
駅などでの警備強化

直前にタリス車内での事件があったためか、駅や列車内での警備が厳しくなっていた。
ペルピニャンの駅構内でコリウールまでの列車を待っていると、警官がやってきて、身分証明書を求められた。相手がニセ警官の場合もあるし、パスポートを出すことがためらわれた。

が、その場に複数人警官がいたし、変にこだわってかえってトラブルになっても困るので、パスポートを見せた。

かなりじっくり中を見られて返却された。同じ構内では移民系と思われる人が
厳重に職務質問を受けていた。楽しいだけではすまない、旅行と隣り合わせのリスクを感じた。

シャルル・ド・ゴール空港から バスで環状線に入る直前のポルト・ド・ヴァンセンヌで、1月のテロで襲撃されたスーパーが目に入った。何人もの警官と警察車両が店頭で警備にあたっていた。これも忘れてはならない社会の一面であることを、改めて思い知った。
(2015年8月 Bera@サンジャン 様)


テロの影響で警備の兵士が機関銃をもっての警備だった。
スリや署名スリ集団にでくわさなかった。(気がつかなかっただけか?)
(2015年5月 シテはシティだ 様)


旅行中にアフリカとフランスでテロがあり、帰りの飛行機がちゃんと飛ぶか心配だった。
日本の保険会社に電話して、ドイツ国内の飛行状況と私の使う航空会社のHPを見てもらった。
これがフランス経由だったら心配だった。
(2015年6月 大山んばちゃ豆 様)


テロの影響か、やはり今までより観光客が少ないような印象を受けた。
ラヴァレのアウトレットも未だかつて体験したことがないくらいガラガラだった。
(2015年3月 ザールのあか 様)


パリ着日にテロがあった。初めはわからなかったがホテルのTV(NHKの海外放送)を見て知った。デパートやホテルに入る時、荷物チェックがあった。
(2015年1月 おだまりまり 様)


滞在中、街中に警察官が沢山いたためか、そのせいかどうかわらないが、スリには遭遇しなかった。



(旅の手配で困ったことは?) = エボラ出血熱、パリのテロ。
(2015年1月 さしま 様)





2014年

出発前にパリのメトロでテロ計画のニュースがあったので、怖かった。
何事もなかったがメトロを使いたくなかった。
(2014年10月  サンジェルマンの白くま 様)

旅行前に、イスラム国によるパリのメトロへのテロ情報があるとニュースで見て怖かった。なるべくメトロは使わずバスを使った方が良いかと思ったが、恐る恐る乗ってみると特に危険な感じはなかったが。
今回の旅行の目的で、アラブ研究所とモスケに行くことを予定していたが、散々迷って、行かなかった。
(2014年9月  恋に落ちた@nao 様)


テロを警戒してか、エッフェル塔や凱旋門などの有名観光地は警官や軍人の巡回が多かった。
(2014年3月 上ミノ yt 様)

2013年

(旅の手配で困ったことは?) =
出発3週間程前に起きたアルジェリアでの人質事件(仏軍のマリ派遣)。
フランスでのテロを危惧して旅行を中止すべきか迷った。外務省からは渡航情報として注意喚起が出されていた。が、最終的に渡航を中止するほどではないと自己判断し、予定どおり出発した。

ただ、外務省のテロ対策資料などは熟読した。出発直前まで現地のニュース、外務省や在仏日本大使館の情報収集は欠かさなかった。

行ってみれば旅行者もいつもどおり大勢いたし、なんら変わった様子はなかった。

、個人旅行なので、現地で何かあれば全て自分で対処しなければならなかった。いろいろ調べたので、いい勉強になった。
(2013年2月 まのんげるしー 様)

2011年

駅で荷物が預けられなかった。その数日前(2011年7月下旬)にあったノルウェーでの銃乱射事件の影響で、テロ対策が強化されていたようだ
(2011年7月 となとなこ 様)
2010年

テロ警戒がレベル5との情報があり。

シャルル・ド・ゴール空港には3時間前に到着。チェックイン。出国審査場前のトイレとカフェは全て兵士により封鎖されていた。ただでさえ時間が掛かる空港なので、3時間前に着くことをすすめる。
(2010年10月上旬  keiコレ 様)

2005年11月 セーヌ・サン・ドニ県 暴動

暴力事件が原因で、パリ北郊外でRER線の運行が著しく麻痺(鉄道職員が「業務放棄権」を行使)

一部パリ市内、マルセイユ、ルーアン、ディジョンなどの都市部(あるいはその郊外)でも波及。


11月3日の午後の時点で空港行きのRERが停まった。RERで空港の向かう予定だったが、幸い現地の友達が出発直前に連絡をくれ、ロワシーバスで空港ま で向かった。駅には張り紙がでていたそうだ。バス停は長蛇の列で乗車できない人も多数いた。次のバス待ちとなっていたようだ。

この事件と関係あるかわからないが、11月2日の夕方にバカラ美術館行った帰りに地下鉄のイエナ駅に向かう途中の道で、多数の警察官とパトカーを見た。駅に私服警官っぽい人が、打ち合わせをしていたり、ホームを走りまわっていてちょっと物騒な印象をうけた。
(2005年11月 朝食はパン  様) 


パリには29日から滞在していましたが、暴動発生以降もパリ中心部での
観光・移動(メトロ、バス)に特に支障はなし。

空港での警備はより一層強化されていた。警官、兵士多数。荷物とボディチェックが入念なため時間がかかった。これは暴動発生以前からかもしれないが、ジャ ケット、ロングブーツは脱いでセキュリティチェックを通した。パンツのポケットに入れて安全ピンで留めていた緊急時用のクレジットカード、連絡先メモ等の 入った小さな袋も、ポケットから出して籠に入れて通すよう指示された。
(2005年11月etsu et nino  様) 


ランシー市にて、夜間の未成年など(親の付き添いのない)夜間禁止令発令。
半世紀ぶりに フランス政府が非常事態宣言。
(Chun3)


シャルル・ド・ゴール空港 爆破物。一度荷物チェックを受けてゲート内に入った人たちも含め、全員避難させられた。
端の方にあるカフェに爆弾があったような話を近くの人から聞いた。空港内放送びフランス語はわからないし、英語も声が小さく聞き取れず、空港スタッフもてんやわんやで、正確な情報もまともに得られずとても不安だった。

空港スタッフにやっと聞いて見ると「ポリスが調べているから待つしかない。どのくらいかかるかは、ポリス次第だ。」とのこと。 結果1時間半程度の遅れで飛行機は飛んだ。爆弾があったのか。処理ができたのか。爆破予告などで結局爆弾はなかったのか。など詳細はわからない。
(2005年11月 ジョシュ宝物 様)



2005年6月 ペルピニャン暴動

併せてマルセイユ、ニース、エクスなど ひったくり事件等の多発
2004年10月 大使館爆発事件

パリのインドネシア大使館前で放置小包爆発事件。
2004年6月  フランス警戒赤レベル引き上げ

  フランスの赤レベル=重大テロの可能性あり のレベル4。

   在フランス 日本国大使館
   http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/
    から
    > (左)大使館のおしらせ > (右) テロ引き上げ

    ・概要 空港、鉄道、地下鉄、RERでの警戒強化

    ・公共交通機関における、所持品検査(臨時あり)

    ・TGVの荷物置き場廃止

    ・フランスからスペインむけの列車には 始発〜終着駅まで警察官が同乗、
    職質、手荷物検査をおこなう。

(2004年6月 Chun3)


ブルターニュ方面へのTGVの荷物置き場、駅のロッカー類、すべて閉鎖。

パリを含め、箱型のごみばこは撤去。

レンヌ駅では、フロアからホームに降りるところでSNCFのスタッフが 2名おり、切符をチェックしていた。ホームその他もかなり厳重に警戒していた。
(2004年6月下旬 Chun3)


パリ〜リヨンも ホームにアクセスする手前で乗車客を止めて、チケットをチェックしてました。ホームには自由にアクセスできるもんだと思い込んでいたので、当方もかなり驚いた。 オステルリッツ駅では機関銃を持った兵士が3人、駅をずっと警備していた。
(2004年6月  labandite 様)


7月2日新聞報道。荷物置き場の再開と引き換えに、網棚にに置く荷物も含め、すべての荷物に名札をつけるよう義務づけ、名札のない荷物が見つかり、車内アナウンスでも持ち主が名乗り出ない場合は、列車を止めて爆破する、との記事があり。
(2004年7月 パリカール 様)

6月30日、パリ北駅発 カレー方面行きのTGV(私たちが乗ったのは2等)では、荷物置き場が使えていた。また、その時点では「荷物に名札をつける」は言われず。
(2004年6月 chatnoirとろ 様)
2004年春 フランス テロ予告の騒動

かなり大騒ぎ。イラクとは関連なく独自の騒動です。謎の自称テロ集団が多額の現金を支払わなければ、SNCFの線路に爆発物をしかける、と大統領府を脅している、というもので、実際予告通りの爆発物が一部みつかり、かなりの威力だったことから、相当の騒ぎになっていた。

注意といっても 一旅行者が爆発物を発見できるわけでも回避できるわけでもないし、
やたらに心配、恐怖感で震えてもこの世の中仕方ないかとは思いう。

ただ、列車や飛行機のスケジュールが大幅に狂う恐れがある。代替策や、スケジュールの変更に開き直る心構えだけでも、あったほうがよい。

ついでに飛行機の手荷物なども、簡素にしないと、入国にうんざりするほど時間がかかるかもしれない。

実は、2003年12月から犯行予告あったらしいが、どうりで 2003年12月に渡仏した際は、もーあっちこっちで爆弾がどーのと、列車のコース変更、 運行の停止、銃を持った軍?とおぼしき怖いげな人たちが駅や線路を右往左往、という場面を各所で見かけた。 我々のスケジュールは、連日みだれ、参った。  今から思えば、無事でよかった! っていう事だった。
(2004年3月 vani-bee 様)


フランスのTVニュース(フランス2)を見ていたら 列車の車両入口の荷物置場に赤いテープが貼られて、トランクなどの荷物が置けないようになっていた。
(2004年3月 ハナクロにゃんち   様)


タリスに乗車。大きいベビーカーや大きいピギーケースも 車掌が席の頭上の棚(自分の頭上でなくてもいいようだった)に載せるようにと指導したらしく、私の頭上に人の大きな荷物が載せられた。落ちてきたらと思うと、怖かった。

荷物がある場合、早めに列車に乗り込み 荷物を置く棚とヘルプしてくれそうな人を確保する必要がありそう。 

列車に乗り込む際「怪しげな人」 「荷物が多い人」(規定は難しいですが)は質問等受けている人もいた。車内でも国際列車だからだと思うが 「怪しげな人」はパスポートの提示を求められていた。電車の遅れはなかった。
(2004年3月 バンコテルオ  様)


SNCFフランス国鉄にて 鉄道爆破予告にもとづき、全路線での確認作業がおこなわれた。2月21日にひきつづき3月も 爆破予告があり、検査で爆発物が発見され、撤去されたようだ
(2004年3月 Chun3)



パリ・リヨン駅、パリ・サン・ラザール駅、マルセイユ駅では、 鉄道職員、警官・憲兵・兵士などが結構目立った。といってもあまりピリピリムードではなかったが。

カルカソンヌからマルセイユのcorailガモンペリエのひとつ手前の駅で15分くらい停車した。車内放送では 何とか 「モンペリエ」 「セキュリ ティ」「15分」 おしまいのメルシーしか聞き取れなかったが、多分 治安上の理由で何か調べるため遅れたようだ。エクスにいったときの帰りの時間帯のマ ルセイユ〜エクスの Terも セキュリティの関係かなにかで少し遅延。

あまり心配することはないと思うが、鉄道当局もかなり神経を使っているようなので、あまり ぎりぎりのスケジュールはやめたほうがよいだろう。
(2004年  タヌ−ウサ-ババ  様)




今後の動きもありますので、留守宅・職場への連絡、現地での連絡や対応、ニュース入手(←しゃれとちゃいまっせ)、 緊急時の対応を自分の中で何段階かで計画しておいてください。

「さほど」でなくても、いろいろな規制により、現地で急な行動変更があるかと思います。
マニュアルどおりではなく、臨機応変に対応してください。



パスポート肌身(notバッグ内)は当たり前ですが・・・

現金はある程度、非常用をどこかに持っておきましょう。 最後のバス代だけ、と1000円ぐらいで生きのびたりとか、危うい橋を渡らないように。


クレジットカード与信残高、アップしときましょう(急に帰国する場合、また帰国延期になった等で、ホテル・航空券をさっと一括支払いできる程度) 噴火騒動の時も

航空券だけを手配している個人客の場合、とくに航空券がとれなければ ずっと滞在することになります。ホテルも奪い合いになります(噴火騒ぎのときもそうでしたが) 2,3日なんとかなるぐらいの現金は必要です。

ATMでの引出は あてにしないこと。日本およびフランスで、ATM内のオカネがつきたケースが過去にあります。

トルコのときもそうですが 町に出られなくなる というケースもあります。



家族および職場等には、 訪問予定都市、 居場所(ホテル)、行動、便名などを伝えましょう。また家族には定期的に生存連絡入れて、安心してもらいましょう。



海外に行く時、私が家族に伝えていること

・旅程(日時、飛行機の便名、発着時間などわかる限り)
・日本と滞在国との時差と対比例 (日本が○時なら A国は×時、とか)
・滞在先の名称、所在地、Tel & Fax、あれば URL とメールアドレスも
・国際電話のかけ方 (各国別コードを用いて具体的に)
・搭乗予定の航空会社名と連絡先、もう1度便名と発着時間、あればチケット
予約No.など、個人を特定しやすそうなデータ
・代理店を通している時は、その名称と連絡先、あればカスタマー番号など、
個人を特定しやすそうなデータ
・パスポートNo.
・各クレジット会社連絡先
・傷害保険会社連絡先
・滞在国、通過国の在外公館連絡先
・日本の外務省「領事局 海外邦人安全課」の連絡先

ちょっと大げさかなぁとも思うが、何かあったら 日本にいる家族に面倒をかけるしかないわけなんで、、、保険?のつもりで。 
(2004年 とりcacao 様)


現地では頻繁に、情報仕入れましょう。

頼れる先(各種機関、デスク)の連絡先を洗い出しておきましょう。

保険は特約ほか内容に注意し、色々な事態でカバーしてもらいたい内容を ケチらずつけておきましょう。また免責(=払ってもらえない)条項もよく見ておきましょう。


いまの日本でもそうですが、ちょっとした食い物・飲み物は持っておきましょう。


見どころの閉鎖や早じまい、買い物や計画はつぶれることがありえます。優先度でリストわけし、早めにつぶしていきましょう。とくに、エッフェル塔は けっこう普段から すぐ○○予告が出て閉鎖されることが普通にあります。

荷物預け(ホテル、鉄道駅等)閉鎖の可能性が高まります。あてにしない旅程を。

VIPの動きに注意。彼らの動く周辺には 色々な影響ありますので、注意。


自分も怪しまれる行動はしない。狙われやすい建物や場所には とくに無理して行かない。

激しい物音や人だかりがあったら、わらわら寄っていかずに 「逃げる」「伏せる」 「あ!と思ったら 走って逃げる」

空港、駅、軍関係、警備、等 へたなものを へらへら撮影しない。←引っ張られます 異国でひっぱられると、外交まで影響したり、どえらいことになります。

判らないことがあったら、英語のできそうな人(x複数人)をとっつかまえて、何が起こっているか、聞く。

自分も怪しい行動をしない。とくに おかしな場で おかしな(平和ボケした)行動をしない。例 うかつに職質中に ポケットや上着に手をいれて物を取り出そうとするなど。







2001年のテロの3週間後、新婚旅行でエジプトに。


テロ前に、新婚旅行は親族の希望(個人旅行は待っている方が不安だからツアーにしてほしい)で日本旅行のパックツアーに申し込み。

旅行3週間前にテロが発生。テロ直後はツアーや飛行機がキャンセルになったので旅行に行けるか不安でしたが、私たちが申し込んだツアーはキャンセルにはなりませんでした。
 

旅行に行くのを止めなかった理由

 
・行き先がアメリカではない。
・テロ後も外務省がエジプトの危険度を上げなかった。
・旅行会社がツアーの催行中止をしなかった。
・テロ後、一定期間が過ぎ、アフガン空爆前だったので、テロによるキャンセル料免除の措置が適用されず、キャンセルすると通常のキャンセル料がかかる。
・パックツアーなので、何かあれば旅行会社が対処してくれる。
・エジプトとアフガニスタンは地理的に離れている。エジプトとアフガニスタンは近いから危ない、と勘違いしている人が周囲に多かった。エジプトはアフリカ大陸で、アフガニスタンはパキスタンの隣でインドの近くだよ、と説明すると、結構みんな驚いていた。
・テロ対象はキリスト教圏である(主にアメリカや欧州)
・使用する飛行機がエジプト航空(さすがに同朋は狙わないだろう、と推測)
旅行中に気をつけたり、気づいたこと
 
ホテル
・ホテルで時間があっても自由行動は控え、むやみに街中に行ったり
しなかった。
・安全を考慮して、旅行会社が中州のホテルを用意してくれたので治
安の不安はなかった。宿泊客は欧米系の人ばかり。日本人は私た
ちだけ。

観光客
・現地では、日本人は日本旅行の私たち4人とJTBの団体さん(20人ぐら
い)しか見ませんでした。
・テロ対象だと思われる欧米系の観光客は大勢いました。テロに関係
ないと思われるアジア圏の人は自粛したようで少なかった。(これが一
番印象的でした)


エジプト

・エジプト国内では特にテロでピリピリしたような雰囲気は感じられなかった。どちらかというと、迷惑しているような感じでした。
・時期が時期だったせいか、空港などでエジプト人で英語が話せる人に「今回のテロについてどう思うか」とか、「日本人は原爆落とされたのに、どうしてアメリカに怒らないのか」など、聞かれました。(原爆に関しては、この時期じゃなくてもよく聞かれるらしいのですが。エジ
プトの人に言わせると、とても不思議なんだそうです)
・現地のエジプト人のガイドさんや観光に携わっている人たちは、テロの影響で観光客が減って仕事が少なくなることを心配していた。


飛行機

・日本からエジプトの飛行機はがらがら(400人弱乗れる飛行機に60人ぐらい)でした。対照的に、エジプト国内の飛行機(約100人乗り)は、ほぼ満席でした。(計4回利用しましたが、4回とも)
・旅行中、テロの影響でJTBの団体さんが利用していたスイスエアーが倒産した。(無事に帰国できたようです)
・旅行の最終日にアフガン空爆が始まってしまい、外務省から退避勧告が出た。これに関しては見込みが甘かった、と反省。その影響で、帰りはエジプト航空からトルコ航空に変更になり、カイロからイスタンブール経由で関空への帰国となりました。
・カイロからイスタンブールへ行く飛行機で隣に座った、個人で来ていた日本人女性は帰りの飛行機が取れず苦労したそうです。その点、非常時には旅行社が手配してくれるので楽でした。
「パックツアーは非常時には旅行社が対処してくれる」と、いう安心感や上記の理由のため、旅行に行くことに特に不安はありませんでした。やはりこういう場合は、本人達よりも会社や家族の方が心配していま
した。

もし、個人旅行だったり、行き先が欧州(特に英国)やアメリカなどなら、旅行を中止していた、と、思います。
(2001年 羊のどんざえもん 様)

到着日にホテルが入居しているビルが閉鎖中だった。あと25分したら解除になると言うので荷物預けて買物に行った。早朝、爆弾を仕掛けたという電話があったので、ビルが閉鎖されたとのこと。結果はいたずら電話だった。

もし泊まっていたら一日中ホテル使用できなかった訳で、複合ビルにあるホテルは次回は避けようと思った。
(2010年5月上旬 パンジーとビオラ 様)
 

大規模なデモ
 

クリニャンクールの蚤の市の帰り、メトロに乗っていたらデモ隊が2、30人乗り込んできた。
ぎゅうぎゅうの車内で、全員がずっと叫んでいた。

たまにサルコジという単語が聞こえた。危害を加えられるようなことはなかったが、足踏みをしたりしてたまに車内が揺れたり、拡声器を持った女性がずっと叫んでいた。

真横で乗客と口論も始まって、怖くてたまらなかったので、途中で降り、次に来た電車に乗って帰った。現地の人は、やってるよーぐらいで、冷静だった。
(2009年1月下旬 ym5オペラ 様)
 
 

1月3日にオスマン大通りで大規模なデモがあり、道行く人もデモに呼応して叫んでいた。独特の雰囲気があった。

ラファイエットの地下通路が緊急封鎖され、エレベーターは緊急停止するわ、セキュリティーはなだれ込んでくるは、シャッターが降りてくるわで一時騒然となった。

目の前で通路が封鎖されていき、デパートから出たほうが安全か、中に戻るほうが安全か、判断に迫られた。何が起こったのかわからないし、隣のプランタンで爆弾テロ未遂があった後なので、心臓がばくばくした。

ホテルに戻ってニュースでイスラエルのガザ侵攻を知り、即デモを開始した市民のすばやい反応に驚いた。

警備のためとはいえ、街中で自動小銃をもった人に出くわしたり、盾と銃をもった大量の警官を見るのは、やはり怖い。
(2008年12月/2009年1月 七色ういろ 様)
 
 
 

夕方ギャラリーラファイエットへ行こうとしたら、イスラエルへの抗議のデモに遭遇。イルミネーション見物の人たちもいて物騒な気配はなかったが、東京とは違う迫力を感じた。イルミネーションもデモも見物してる場合ではないと思い、早々に引き上げた。
(2008年12月/2009年1月 きらきらコマネズミ 様)
 
 
 

木曜日の午後。モンパルナスから乗り、車内が混みあっていて、学生が多く、駅を降りると、警官と学生。コンサートか何かあったのかな?と思いながら、外に出てビックリ。道いっぱいすごい人と警官。デモだった。

その時、「ピィーッ」と笛の音とともに「ワーッツ」と警官に制されてデモ隊が走る。

大変だ!巻き込まれたら。初めての恐怖感だった。巻き込まれて名前が放送されるのが嫌だった。一瞬でそこまで考えた。でも傍らにTVカメラが・・・

とにかく目的地に行かなければ!道路脇にバリケードしているムッとした警官に地図を見せる。無言で道を指差した。お礼を言い、先を急ぎたいが、目的地はデモ隊の向こう側、渡らなければならない。道を渡ろうと突き進む。

「ダメダメ!通さない!」デモ隊が通してくれない。一度道路端に戻る。隙を見てデモ隊が途切れている所を走り抜ける。通れた。この場から早く逃れたい。

日本人は最近あまりデモをやらない。やってもおとなしい。旗を持ち、声を上げて道を練り歩くくらい。

バリケードの警官の所は、部外者なので、通してもらえた。少し歩いて、何のデモか地元の女性に聞いてみた。「学校の先生の数が足りないの。 それで皆、生徒達がデモをしているの」ということを言っていした。目的地のお店に行き、そちらでもすごく怖かった。と話すと、「そんなの毎日よ。怖くなん かないわよ」 近所の人はデモに慣れている。
 

(2008年4月 katharinaすぬうぴぃ 様)

NY同時テロ(2001年9月)翌年に 新婚旅行でアメリカ東海岸。

航空券の手配を テロ後の2001年12月ぐらいに考えた。911直後で現地も混乱しており、状況は刻々とかわった。

周囲も心配しますし、現地の状況(観光スポットもしまったり、現地移動手段も運休した)がわからず判断には困りました。

さらに、自分の旅程が 見事に アメリカ大統領の訪問地・重要行事と重なり、え〜っということに。(N.Y.グランド・ゼロでの式典や アーリントンの年一度の式典と重なりました) まぁ非常警戒状態。なにかヤられるかもしれない、という状況でした。

が、とりあえず 下記のようなことを考えて手配しました。

 
・現地ホテルに連絡をとって状況を確認した。

・VISA,JCB、ダイナースなど使えるカード会社の現地事務所に
事前に連絡をとって、状況や非常時のサポートについて相談(確認)した。

・親族も心配するので、なにか不安要因があったら即刻行き先か時期をかえる、と自分で 決めておいた。(こうすると気持ちが楽になります)

・保険の内容は確認した。ただし当時最初はテロ・騒乱は一切カバー不可だった。
が、そのあとSARS騒動のときは、一部を負担するような保険商品も後発で出始めましたから、市場も成長していくようです。

・航空券は 直前でもキャンセル料の安いもの(正規個人割引)にした。(といっても ANAで5月のGW後だったため 伊丹-成田-D.C.-N.Y.-成田-伊丹で 正規で6万円強だった・・・6食もついてるのにねぇ)

痛かったのは 客激減による 航空便スケジュールの変更。関空発北米いき各社が減便・運休したのがいたかった。春のスケジュールなどを問い合わせし続けた。(復旧の見込みがなかったので、成田経由に)

・当然 親族や同行者の希望で、日系エアラインにした。当時アメリカ系の航空機テロが再発する、といううわさもあったため。だが、結局出発までに今度は日本発着の航空機がねらわれているとかいう噂も流れて、もうやってられなかった(笑)
まぁ補償の高いところにして お葬式代にしてもらおう、現地で日本語で状況がわかるだろう、程度。
 

・ホテルは 中心部の、ある程度の大型ホテルにした。何か足止めがあってもホテル内で平和に快適に暮らせそうなところ♪レセプション(フロント)がしっかりしているところ。

また、これは防犯とは関係ないが、観光ルート区域内で、巡回観光バスの停留所などが近いところに。(結果的に 交通費がういたし、財布も出し入れしなくてすんだ)

また夕方早く部屋にかえっても窓から楽しめるよう、ビューのよい部屋にした。

大使館とかその手の近くは避けた。が D.C.自体が政府機関が多いため無意味かなぁとおもった。

・自分のケースでは、それぞれの土地に土地勘があったこと、英語での交渉経験があったこと、そもそもN.Y.+D.C.という地味な商品がほとんどないことから、自然に 個人旅行にしましたが、不慣れな人なら、現地係員や現地代理店がサポートしてくれる主催のパッケージにしたり、振り替え手配などもがんばれる大手のパッケージを利用してもよいかもしれません。

申し込み方法
過去の事例では、大手数社は戦乱キャンセル騒動のとき、臨時でキャンセル料を無料にしたり、フランスW杯の不手際のときはお詫び金も出すなど懐の深さを見せました。(ちなみにその後に たちゆかなくなって倒産した中小代理店多数・・・)

自分が 交渉や言語に不案内な肉親に手配するなら、こういうときは大手のパッケージにしておきます。

背景や状況が違うので、参考になるかわかりませんが、自分が行くときは これだけの想定・準備をしておいたので、腹をくくって渡航できました(ただし やはり日本の家族は心配していたようです)

(2002年 Chun3)



 
 
 
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