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2009年の全体ストライキ
スト実施日(帰国当日)バス、地下鉄は間引き、郵便局は郵便のみ取り扱い(お金関係はスト中、・・各局によって、状況が違う)、学校は休み。
デモに当たる道路は時間により封鎖だったよう。タクシーは動いていた。道路状況は時間・場所により一部は大渋滞だったが、ド・ゴール空港へ行く高速道路はそれほどでもなく、大して時間がかからず。 エールフランスFは、Webの告知では長距離便は100%運行予定だったが、念のため、当日にフライトの確認の電話をして、自分の帰国便は飛びそうだという感触。でも、こればっかりは行ってみないと分からないと思い、かなり早めに空港に着くようにした。 ターミナル2Fの運航表示を見ても、キャンセルになった便は少なかったようだ。たまたまラッキーだったと思うのですが、何が起こるか分からないのがフランスで・・と感じた。 (2009年2月 Rod・ロッド 様) |
帰国日に遭遇。
エールフランスでストックホルムからCDG乗り継ぎで関空へ帰国しましたが、ストックホルム出発時にすでにパリ空港のストのため出発許可が出ないとかで、出発が1時間遅れた。 パリでは3時間の乗り継ぎがあったため、免税店での買い物を余裕で楽しんでいたが、隣のゲートの成田行きが定刻に搭乗開始になるのに、関空行きはなんと整備士がストをしており、出発前の整備点検ができないと搭乗開始できないので、今代わりの整備士を手配しているから待ってほしい、とのアナウンス。フランス語と英語では正確に情報を伝えていましたが、日本語アナウンスでは機体整備が完了しないため待ってほしいとだけ話していた。 当初の出発時間から2時間ほど経った時点で、搭乗口でサンドウィッチとソフトドリンクを搭乗券の提示でサービス、カウンターの上にサンドウィッチやドリンクを並べて配っていた。 サービス後、一度搭乗案内があり、沖止めだったので、バスに乗って機体のすぐそばまで行ったものの、まだ整備点検が終わっていないとかで、バスから降りることもなく、全員搭乗口まで逆戻り。 結局3時間遅れでパリを離陸、関空に着いたのは定刻から2時間40分遅れと、ストに遭遇したにしては軽度の影響ですんだが、スウェーデンにいたときはFRANCE24やTV5MONDEなどでも前日の夕方までストをフランス全土でやるからねといった程度で、具体的な交通への影響の報道はなく、ほとんど状況がわからず。 エールフランスに問い合わせても、多分飛ぶと思うから当日空港に来ればそのときにわかる、としか返答がなかった。 (2009年2月 ガムラのyoppi 様) |
帰国日。
初のストで勝手が分からず、かなり慎重になった。1/28の20時〜1/29の16時くらいでストを行うとのことだったので、急遽28日夜分の宿にと空港近くのIBISを予約した。そこにたどり着くまでにまたいろいろあった。 (2009年2月 サブレなmameco 様)
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2007年のフランス全土およびパリの 年金問題にかかわる全体ストライキの 総合経験談
ストに どストライクな日程で、パリに4泊。出発前に旅行会社からスト情報は入っていたが、こんなに長期になるとは思ってもみなかった。
一番困ったのは、地下鉄・SNCFが動いていないこと。現地係員、ホテルスタッフ等にタクシーや観光客向けの巡回バスを利用したらとアドバイスをうけたが、道が大渋滞。タクシーもつかまらない。あとはもうひたすら徒歩。パリの人たちもみなさん歩いていた。 地下鉄の1号線と2号線は辛うじて間引き運転をしていた。が、自動改札機に切符が入らなくて困っていると、現地の人がドアを手で開けて手招きをしてくれた。でも、切符に打刻しないと罰金と覚えていたので、駅員に「入らない」をジェスチャーでうったえると、ものすごく無愛想に「そのまま行け」という感じに言われた。2回ほど無料で乗れたが、ラッキーなのか違反なのか、どうなのか、降りるまでドキドキした。 行くまでにふらつーを熟読していたおかげで、かなりストにも対処できたように思うが、日本のように携帯が使えない。すぐネットで情報収集できないのが困った。地下鉄も日によって運転している路線が変わったので。 毎日、連れと、ストにはめげずに楽しもう、と言いあった。起こったことは仕方がない、楽しもうというのが大切。
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・朝7時すぎにドゴール空港から凱旋門行のAFバスに乗ったが、 すごい渋滞で、凱旋門に着いたのが、9:30すぎ。タクシー乗り場で30分以上待つものの、タクシーは1台来たきりで、まったく来ず。
タクシーをあきらめ、メトロ1番線に乗り、シャトレで乗り換え、 サンジェルマン方面のホームまで行くも、人がホームからあふれており、断念。 シャトレで地上に出て、往生際悪くタクシーを捜したが、空車はまったくなく、結局ホテルまで歩く決意をする。 途中、地図をチェックしていたら、中年女性の「指輪を落としている」(推測だが、間違いない)と声をかけられ、自分ではないと返事をすると、「じゃ、これは取っておきなさい。ラッキーね!」とのたまう。
もしや…詐欺?と思いつつ、あなたこそ、ラッキー!取っとけば?と切り返すと、「いいえ、コレはあなたのもの。でも替
この疲れている時に詐欺かよー、やっぱり地図なんか広げてるとロクなことがない。女性を振り切り、ホテルに着いたのが13時前で、もうヘロヘロのヨレヨレ。
・この日は、12号線が動かなかっただけらしいが、メトロもバスも大混雑で往生した。 サロン・デュ・ショコラの初日に朝から行きたかったので、当日早朝にAFでパリ入りし、朝8時ぐらいまでにホテルに寄って荷物を預け、会場に直行し、ワクワクしながら開場を待つ!というプランを立てていたが、スト。
気持ちを切り替え、サロン・デュ・ショコラに出発する。サンジェルマン大通りを12番線の駅に向けて歩くが
なにか貼紙がしてあるが、書いてあることがわからない。「スト greve」という文字は書かれていないようだ。
改札の横のボックスには職員の壮年男性が2人いるが、ノーアクション。不安になってボックスに近寄り、片言のなフランス語で「ポルト・ド・ヴェルサイユに行きたい。ここでOKか?」と聞くと、フランス語で答えてくれた。わからない。 笑顔でたたずんでいると、メトロ地図を出してきて、多分どこに行きたいのかを聞かれる。ポルト・ド・ヴェルサイユを指差すと、半分英語、半分フランス語で
「ここから5分ぐらい歩いたら、Invalides駅があるから、Balardで降りて、T3に乗換え、2つ目がポルト・ド・ヴェルサイユ」 と詳しく教えてくれる。珍しくよく解ったが、また歩くのか、しかもトラム、乗り方予習して来なかったよ、と呆然としていると、さらに詳しく丁寧に教えてくれて、とても親切。 丁寧に礼を言い、ついでメトロ地図を貰い、駅を離れた。 アンヴァリッドに向かって歩く。素晴らしい景色と晴れわたった美しい空を見ながら、もう3万歩は歩いたね、と思う。もう立っているのもつらいなぁと感じ始め、「エコール・ミリテールまで行けばポルト・ド・ヴェルサイユ行のバスがあった」と、ふと思い出す。 シャトレの駅の混み具合を思い出し、メトロに乗っても、ぎゅうぎゅう詰めの立ちっぱなしで、しかも乗換えしなきゃいけないのはしんどい、という結論に達し、途中エヴァンテールでアイスクリームを舐めなが
バス停の手前の横断歩道で信号待ちをしていたら、バスが来てしまった。しかも満員、ぎゅうぎゅう詰め。 「満員だから、次のに乗ればいいよね」と余裕をかますものの、アイス買ってる場合じゃなかったな、とちょっと後悔。すぐ来るだろうと思ったのが大きな間違いで、待てど暮らせどバスは来ない。 しかも行き先が「ポルト・ド・ヴェルサイユ」になっているのに、エコール・ミリテールで全員降ろして走り去るバスが2台も来て、もう意味が解らない。 バス停は明らかにサロン・デュ・ショコラに行く人たちが大勢。しばらく待ったが、バスは来ないし、バス停には60人ぐらい殺気立ったフランス人がいて、どこ行きのバスが来ても、乗り口に殺到して、運転手に何か言っている。 これじゃバスが来ても控えめな日本人である私たちは間違いなく乗れない、一番最初から待っているのに、絶対乗れる気がしない!と被害妄想にも似た確信を持つ。しかも道も混んでいるようだし、なんとか会場に着いたとしても、万が一「入場制限」とか「入場待ち」なんかになってたら、どうしよう? すでに14:20。夕方5:30のユーロスターに乗らなきゃいけないの。 朝から乗り物運最低の今日、ユーロスターに乗り遅れてしまう確率はとても高い、よって、サロン・デュ・ショコラに向かうのは危険、と判断。どうせバスも来ないし?とあきらめて、どこかでゆっくりお茶でもすることにする。 近くのスーパーに行き、10分ぐらい買物をして出てきて、バス停を何気なく見たら、あんなにいっぱいいたフランス人が一人もいないッ! 「あーーーッ!!」と声が裏返った。もう倒れそう。わずかな間にバスが来たようだ。ガックリと肩を落とし、別のバスに乗ってモスクでお茶をして、敗北感と疲労を癒す。 結局、メトロの男性の言うことを聞いて、8番線で行くのがベストだったようだ。 中途半端な経験と知識で、墓穴を掘ってしまった。乗り物運最悪なので、用心して早めに北駅に向かうが、メトロもちゃんと動いていて、無事ユーロスターには乗れた。
・フランス語ができないと、現地での情報はなかなか得にくく、路頭に迷ってしまった。 予習していった以外の表現や単語を使われると、駅やバス停の貼紙は理解不能。バス停でバスを待つ時、何か貼紙がされてあると、心配。 様子がおかしいなと思ったら、その辺にいる人を捕まえて聞けばいいだけの話だが。その場で聞けなかったら、ネットで調べるという手もあるが、旅先だとなかなか難しいし、トラブルが重なると、だんだんどうしていいかわからなくなってきて、途方に暮れてしまった。
・ 18日にストがあるらしいぐらいの情報しか持たずに出発して、19日もストだったと知ったのは、後日。フランス語ができないと、現地での情報はなかなか得にくく、路頭に迷ってしまった。 ストだったと知ったのも、数日後現地の日本人と話して初めてというていたらく。 いままでパリでそんなに困ったことはなかったし、何かあってもなんなくクリアできてて、「まぁ、パリじゃ大概の事では困んないよね」とそれなりに自信があったが、 なんか「パリ実力テスト」に落第したみたいで、トホホ。 これからはストシーズンを避けたい。 (2007年10月 欠食ドラネコ団 様) |
旅行中はストライキ真っ最中。
空港からのエールフランスバスは運行していたが、車窓から見たパリの道路は渋滞。自転車の人が多く見られた。 パリ〜リヨン間のTGVを、SNCFのサイトから事前に予約していたが、往復共に運休に。前後の列車に振り替えになった。当日は、早めに駅へ行って、窓口で行列に並び、列車の変更手配。事前にたてていたスケジュールが随分狂った。よかったのは帰りのTGVの振り替え列車が満席のため、無料で1等に変更してくれたおかげで、ゆったりしたシートで帰ってきたくらいで。 パリからルーアンへ日帰りした日は、列車が運休しているかわからなかったので、朝4時半に起床、なかなか来ないメトロに乗って、サン・ラザール駅に。運行する列車が来るまで、寒いなか、2時間も駅の椅子に座って待っていたのが辛かった。 メトロも2、30分に1本しか電車が来ない状態。時間が読めず、その分、ホテルを早く出ないといけなかったのも、ロス。 一番堪えたのは、リヨンから列車でFirminyへ行く際、列車がストで運休。バスに振替えとなったが、まったく知らない駅で降ろされ、駅で次のバスを待ち、また違うバスでFirminyへ行ったこと。15時にはリヨンのホテルに戻る予定が、夕方遅くになり、一日要した。帰りのバスも行きに降ろされたバス停とはまったく違う場所で、かなり焦った。 最後の2日間はパリに滞在したが、メトロも列車がなかなか来ず、待っている間も乗る人が沢山来るのでホームもいっぱいになり、乗れない列車もあった。 前に一ヶ月続いたストがあったそうだが、それに次ぐ大きなストだった、とパリ在住の人から聞いた。 今回は、4度目のフランス旅行だったが、こんな大変な思いをしたのは初めて。まるで罰ゲームをしているかのような旅。それでも、フランス嫌いにならないのが不思議。フランス大好きです。あっ 結構、度胸もついた。 (2007年11月 ピッチのいとこ 様) |
地方のその他のケース
ピレネー、バスクあたりは 政情によっては、各種運動が激化するため、十分情報をえておいてください。
・ピレネーで サン・ベルトラン・ド・コマンジュ教会を訪れる日、政府の放熊に反対する人々の抗議で、道路がバリケードされていて、往路で乗る予定のバスが運休になっていた。 連日地元のTVニュースで、やたらと熊の画像と、怒って抗議している人々が映っていたがまさか自分が行く予定の地域の話とは微塵にも思わず。 バスに乗替える予定だった田舎の小さな国鉄駅は、到着してみると無人駅。駅の外の掲示板には、運休されるバスの時刻の張り紙があったが、明記されていない時刻のバスも遅れたり運休になるかもしれないと書かれている。 そこで、駅前のホテル・レストランでタクシーを呼んでもらおうとしたが、施錠されていた。まだ開店前でだれもいない。 住宅が密集しているほうでカフェを探すが、最初に目に入ったのがビリヤードやゲーム機などが設置された店。いつもはこういうカフェは尻込みをするのだが、しかし背に腹はかえられず。どきどきしながら、ポパイのような腕に刺青のある店主にコーヒーを頼んで、ついでにタクシーをお願いした。 幸い、どきどきはどきどきだけでおわり、強面の店主はとても親切で、5分くらいでタクシーが来た。 こうなると、帰りのバスも運行するかはなはだ怪しい。コマンジュの町の教会や周りの観光を終えたあと、とりあえず最寄のバス停まで調べに行こうと歩き出したら、これがまた遠いのなんの。小さな集落を通り越し、田舎道を、それでも行き交う車のスピードにびびりながら徒歩40分はかかった。 苦労の甲斐もなく、バス停には何の張り紙も発見できず。もうここでタクシーを捜して帰りの駅まで行ったほうがよさそう。バス停の近くにあったパン屋でクロワッサンを買って、ついでにタクシーを頼んだ。女性の店主はタクシーなんかほとんど頼んだことがないらしく、それでも電話番号を探して、かけてくれたが、誰も出ない。店主が「今日は土曜日だからタクシー会社も休みよ」のフランスらしい一言に落胆。再度コマンジュの町まで徒歩で帰る決意をする。 蒸し暑く雨も降り出したが、幸い傘は携帯。 汗でどろどろ、へとへとで、坂の上のコマンジュ町に着いたのは遅い昼下がり。教会前の小さなクレープ屋で昼食。さっきのパン屋の町よりは大きな町なのでここだったらタクシーはOKだろうと、刺青の腕の店主にタクシーをお願いした。が、またもやタクシーなんか呼んだことがないらしく、それでも奥から電話帳をひっぱりだして、奥さんや娘さんと一緒になって電話をしてくれた。 しかし、そう、ここはフランス。今日は土曜日。タクシー会社も軒並み休み。やっと出ても16時以降しかだめ、とか。 最初は余裕のあった帰りの電車の時間が、どんどん短くなっていく。どきどき。ようやく、電話帳にのっていなかったタクシー会社に連絡がつき、15分後にやってくるという。ほっと安心はしたものの、フランスの15分だ、あてにはならん、という杞憂を抱えたまま、どきどき。 店主人は、その心配そうな顔の私を見るたびに「パ・ド・プロブレム!」(ノー・プロブレム)と励ましてくれるが
店主に電話代を渡そうとするが受け取ってくれない。礼をのべて、強い握手をしてコマンジュの町をあとに。 (2006年5月 ハナクロにゃんち 様) |