| 地下鉄2号線でモンソー(monceau)下車。 モンソー公園の中を突き抜けてリオデジャネイロ広場からモンソー通りを左(東)に入って63番地
近くにモンソー公園。日曜日で近所の子供を連れた家族や、芝生に寝転ぶ昼寝や、日光浴の人々で賑わっていた。
公園の中にはサンドイッチやクレープを売っているスタンドなどもあるのでベンチで昼食もいい。ただ、値段は少し高め。
【price】 訪れた2003年5月4日(日)はパリ市の ”printems des musees”の日で入館料無料。
【kansou】 大富豪の屋敷に18世紀の家具や装飾美術品が飾られていて、美しい。
この美術館があるモンソー地区は、お金持ちの人たちが多く住む。近くにあるジャクマール・アンドレ美術館より規模は小さいし、幾分古びた感じは否めないが、その小規模さが親しみやすく、小市民の私は、この程度の規模のお屋敷だったら住みやすそう、と思ってしまった。
一階の白黒の格子の床から2階、3階へ続く階段は、優雅。
一階の奥にある台所やダイニングルームは1999年に改修されていて、変に新しい感じ。
バスルームは他の部屋の優雅さと反対に、明るくモダン。そのコントラストが意外にも心地よい印象的だった。
館内はノーフラッシュだったら撮影OK。
2階の階段を撮ろうとしたら、その前にいた守衛が気を利かせて、視界から外れてくれて、感激! ちゃんと「メルシー、ムッシュー」とお礼を言ったら、「うむ」と頷いていた。(フラッシュを監視していたのもあると思う)
入館の際にくれる説明を一つ一つ読みながら回ると時間はかかると思うが、ひととおり見て回るだけなら、3階建てで部屋数もあまり多くないので、時間はかからない。
【disabled】 車椅子には対応していない。階段はあるが全部で3階建てなのでしんどくはない。各階にはベンチもあり。
入口でくれるパンフレットに 「この美術館は、すばらしいコレクションを集めたというだけでなく、世紀の始めに人が住んでいた、という建物の証人でもある。よって、バッグはクロークに預けて、館内を歩く際は注意をして、特に子供たちの動きには十分注意を払ってください」と 太字で明記されている。
躾けられていない子供連れには向かない。
【child】 子供にはむかないかも
【hours】 さっとみて30分、じっくりみて2時間
【works】 台所の綺麗に磨かれた銅製の鍋類。館内を貫く階段、重厚さとモダンさのコントラスト。天板が大理石の家具類。一つ欲しくなる。
【shop】 カフェはない。
ショップもコレクションや台所のガイド本や写真集と、数枚の絵葉書のみ。
パンフレットによると コレクションのガイドは12.2ユーロ、台所のガイドは9.2ユーロ、
写真集は22.9ユーロ
【others】 ユダヤ人の大富豪の子孫によって、装飾芸術センター協会(union centrale des ares decoratifs)に寄贈された美術館。
この協会はルーヴルの端にある装飾芸術博物館も管理している。
スペインを起源とするユダヤ人のカモンド家は、オスマントルコ帝国のコンスタンチノープルで銀行を設立し、イタリアの王様によって貴族の称号を与えられ、第2帝政の時期にパリに来て、モンソー通りに居を構える。
1911年にこの建物を親から譲り受けたモイズ(Moise)・ド・カモンド伯爵は自分が収集した18世紀の装飾美術品や家具の為にこの家を取り壊し、建築家のルネ・セルジャン(Rene SERGENT)を採用してヴェルサイユのプチ・トリアノンを思い出させる建物を建てさせる。
彼は遺言で、自分の死後(1935年)この建物を装飾美術センター協会に遺贈する。そのとき、彼はこの美術館に彼の息子(1917年第一次世界大戦で不運な死を遂げた、ニッシム=nissim=パイロットだった)の名前を、彼の思い出の保存の為に名づけることを望む。名の由来。
美術館は1936年にオープン。ちなみに、モイズの娘とその夫と子供は1943年にアウシュビッツでなくなっている。
また、モイズの従兄弟のイザック(Isacc)も極東美術や、18世紀のフランス美術や印象派の絵の収集家であったが、その殆どはルーヴル美術館に寄贈されているらしい。
(ハナクロにゃんち様 2003年5月)
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