ップ > 準備 > 母連れ > 接待報告4


母づれ  母連れの旅
接待報告4


21 Aug. 2012 / 29 Jun.2013

 
 
 

総括
副社長(母)は 老化をたどる。子からするとショックもあるが、自分の脳裏にあるシニアと置き換えて考えてみよう。
年をとってくると、前より判断力が落ちたり、依怙地になったり、おかしな点も増えてくる。あまり真面目に相手しない。
頭も体も性格だって、車や家電と同じで、少しずつ使ってりゃ劣化は故障はしてくるだろう、当たり前だ、と明るく受け止めるようにする。



年を取ると 「足が動かない」 「体力が1日もたない」



・歩き
年配の場合、靴で足が痛いというレベルでなく、足が動かないという話になる。歩く時間を極力減らす。

メトロやバスでの移動が疲れるだろうと見て、専用車を二回借りて遠出した。 (モネの庭、フォンテーヌブロー&ヴォー・ル・ヴィ・コント城)
専用車は日本から手配でなく、ホテルで前日に頼んだ。ホテルには業者リストがあるようで、きっちり手配してくれた。 専用車の相場はチェックしておいたので、ホテル紹介業者の値段が高い安いが判別ついた。

それでも、現地での観光だけで足の状態はいっぱいいっぱいとなった。現地でカフェでまったり時間を取らないと継続して歩けない状態だった。現地での観光も、想定ほど量はこなせなかった。

・体力
一番 日が長い時期に行ったが、朝から夜まで体力が全く持たなかった。
年寄りなので目が覚めるのは早く、夜早く眠くなる。

朝早めから午前の観光をして、午後は15時、遅くても16時に観光を切り上げ、部屋に戻った。シャワーと昼寝をし、20時前に夕食に連れ出し、22時には就寝。


子にとって自分の時間は、親が昼寝をしていた16時から22時の4時間が勝負(笑)。
この間に自分の散策や買い物を楽しんだ。


・.治安
当初は、親も私もパリに土地勘があり、いざとなったら別行動と思っていた。が、思ってたより 近年のパリの治安がやばく、自分たちだけで動くのは不安だということになった。
結局 昼寝タイム以外は常に一緒に行動した。

気をつけていれば大丈夫、カバンなど持たずに歩けばいいからといっても、一度恐怖心が芽生えるともうダメだった。年寄りだから、環境適応できない。

パリの市内の散策がしたかったようですが、結局できず。郊外に連れ出した時にモネの庭の周辺やフォンテンブローの町をストレスなくのんびり歩くことができて、楽しかったようだ。


・総括
とにかくこの旅行は私は一緒に旅を楽しむ「同行者」ではなく、「添乗員」に徹した。
自分が楽しむことは一番後回し。それでも親は今でも「あの旅行は楽しかった」と言ってくれて、よかったと思う。親にとったらパリはもうあれが最後かもしれない。

(2011年 ぺこ(初代) 様)



多少の老化は承知の上、忍耐&  自分が「母」になる。 


自分が楽しむのではなく、初海外の母を、親孝行旅行と割り切って皆さんの経験談をしっかり読み、挑んだ。
色々な国に行きたいという母の希望で、前年自分が参加してよかったANAのスイスアルプス・パリ9日間に決めた。自由行動の食事なども事前に予約をとり、行く場所もしっかり計画し、事前準備をしっかりした。

母には、ドイツ語とフランス語の挨拶だけは覚えるように、と、2、3ヶ月前にコピーを渡した。驚いた事に単語帳を作って持ってきていた。パリではダメだったが、ドイツとスイスでは、慣れてくると自分から知らない人にまで挨拶してた。

貴重品
全て私の支払いと決めていたので、お金は持たせなかった。パスポートとマイレージカードのみ、娘の私が管理。

飛行機
ビ ジネスクラスのため、あっという間に着いた、と言ってくれるほど問題なかった。が、なんといっても初海外なので、搭乗するまでの説明や機材やリクライニン グのやり方、等、お世話係状態。機器に弱い母なので、本当に何度も何度も教えたが、それでもダメ。最後は客室乗務員に丸投げした。

体力
60代後半だが、一度も疲れたと言わなかった。シャンゼリゼ通りを往復しても何ともなかった。

良かったこと
ツアーの人数が、私たちを含め6名と少人数の上、参加していた夫婦2組が母と同世代。とても仲良くなり楽しくてしょうがない状態だった。私は私で、添乗員と話せて、良かった。

母の老化
20歳でさっさと家を出た私・・・あれから20数年は経過している。母の頭の老化を実感し、悲しくなった。教えた事が理解できない、やってはいけないと言われても、やる。

反省
忍耐とお世話係と割り切って挑んだが、きつい言葉を言ってしまったり、自分の心の狭さを悔やんだ。

脱力
自分の任務がもうすぐ終わると思いきや、成田まであと30分ぐらいの時、ふと横の母を見ると携帯をとりだして、メールを打ってた。

父にも、「携帯は機内ではオフ、飛行機を降りたら電源を入れるように」と強く言われていたはずなのに、唖然とした。

いけないと言われたことも忘れてしまうのか? 行きはダメでも帰りはいいと思ったのか? 厳重に注意したが、もう二度と母と旅行なんて行かない、と強く思った。



全体
母は穏やかな気質の人なので、喧嘩には一度もならなかった。苦労した人なので、旅行を夢のようだと言い、旅行を子供のようにはしゃいで楽しんでくれた事は本当に良かった。私の親孝行の目的も成し遂げられた。

ただし、まだボケてはいないが、物忘れが激しくなっている。今のうちに旅行に連れて行って本当に良かった。

(2011年 よっしー 様)



 母の加齢はヒシヒシと・・・

70代母。

加齢と制限

母自身は、ツアーとはいえ、海外旅行はかなりこなしている。常から母と同居しているので、ヒシと年齢による衰えは感じている。

食事
昼は外食できても、夕食は外食できない。ここ何年かはレトルトご飯を持参し、野菜や惣菜をスーパーで購入したり、中華持ち帰りで、ホテルで夕食を済ませている。


面倒と手間を覚悟
たまに国内旅行も一緒にしているが、やはり海外だと疲れ、不慣れ、不案内など諸条件により、通常より割増となり、面倒。国内だといつもしている役割分担  (私はキップを、母は何か(買い物とか?トイレとか?))が、離れることの不安からできなくなる。なので、必要時間が増す。


辞める時期の見計らい
しかし、母が、年に一度の海外旅行を楽しみにしていることを時々感じる。この服、来年の旅行にいいと思って、など発言がある。自分からリタイアを言いださない限り、一緒に行こう。


イライラ
現地で母に不機嫌になられてしまうと、こちらもイラっとくる。特に足が悪いので、一歩でも歩行距離を短くしたい、と言われても、こちらも不案内で道を間違えたりして、パリの路上で口喧嘩もあった。傍から見ても、喧嘩中の親子は見苦しいが、道中、結構な割合で口論した。

同居の親子でもこの体たらくなので、ましてや別に暮らしている親や年配だと、ものすごく互いが大変だろうなぁと、この母連れページを見て、感じる。


でも、所詮は親子。
「もう あんた(娘)とは絶対に一緒に旅行しない!」など言っても、帰宅したら「楽しかった ♡」と記憶がすり替わっている。



喧嘩忌避策
いつでも相談、決めてもらう・・というか、頼りにする。ポーズだけでも。
例: 午後は、公園と買い物どちらに行く?
   道が判らなくなっちゃった。右に行った方がいいと思う?左だと思う?
で、二人で相談して決めたんだから、責任も半分ずつね、という雰囲気にしておく。
口では言わない。選択が正解だった場合は、母の功としておく。

なんとか上手くやりくりして、「お母様、さすが!」という状況を作り上げて、いい気分に
させておく。


娘のストレス
ある程度、娘の買い物などの希望・欲望は抑えて、あきらめる。が、ほどほどにし、限界を超えないようにする。その際は、母に、ここで待っててorこのスペースを見ててね、など頼み、その間に自分の買い物に走る。何度か繰り返すと、耐性ができる。


仕上げ
旅の最後に、「楽しかったアピール」で、記憶の塗り替え。


(2010年  spring@海外はいつもヒツジ 様)




 いけるうちが幸せ


海外はしり込みする母ですが、国内旅行やデパートなどへ一緒に行く私と母の関係も皆様と同じ。

何でも喜んで楽しんでくれる母ですが、私に遠慮して自分の気持ちを我慢したり、いらいらした私の言動に母がふくれたり・・・ということも多々

1年半前に母が大きな病気を患ってしまい、まだ今は一緒に旅行に行くことは出来ません。
幸い順調に回復しており、梅田のデパートには一緒に出かけられるようになりました。
もう少し体力がついて、近場の1泊温泉旅行に行けるといいなぁ と期待しています。

母の病気で、両親が老いていることやいつまでも元気でいてくれると幻想を抱いていることに気がついたのがショックで、切なく悲しかったことを思い出した。



こじこじキャンディ 様)






                


ップ > 準備 > 母連れ > 接待報告4