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 ロメールの秋 様の紀行
8

18 Jul.2009

 

(2008年9月 ロメールの秋 様)
 
 


 
1 成田〜パリ〜ロンドン
ウォーレス・コレクション
ロンドン泊
The Connaught
2 ナショナル・ギャラリー
3 コッツウォルズ地方
カッスル・クーム、マームズブリー、バイブリー、バーフォード
4 テートギャラリー、ケンウッド・ハウス
5 ロバート・アダムの館巡り
サイアン・ハウス、オスタリー・パーク

6 ロンドン〜パリ
ルーヴル美術館、装飾芸術美術館
パリ泊
L'Hotel
7 発熱で一休み
ルーヴル美術館
8 コニャク・ジェイ美術館、フランス歴史博物館、ニシム・ド・カモンド美術館
パリ〜成田
機中泊
9 〜成田着  
  

 
 
 
 
8日目  
今日がパリの最終日。夜便で成田に旅立つ。どうにか体調も戻り、カルペ・ディエムの心意気で今日を楽しもうと思う。

今日は、朝食を取ろうと、一階のレストランに入る。9時ごろだったが、誰もいなかった。

サーヴィスの人が来て、オレンジジュースと、カフェをチョイスして、コンティネンタルをお願いする。

オレンジジュースは絞りたてで美味しかった。パン・オ・ショコラとカフェ、そしてプレーン・ヨーグルトに、アプリコットとラベンダーのコンフィチュールをかけて食べる。
 

部屋に戻り、パッキングを最終的に行い、11時にチェックアウト。荷物を預かってもらう。素敵なホテルだったので、ホテルのみんなと、レストランを予約してくれた女性宛に、感謝のお手紙をしたため、手渡す。
 

サンジェルマン大通りに出て、カルチェ・ラタンに向かって歩き、途中のタクシー乗り場でタクシーを捕まえる。ヴォージュ広場までお願いする。 

コニャック・ジェイ美術館  
ヴォージュ広場に着き、降ろしてもらう。

ミシュラン地図を広げ、通りを戻り、コニャック・ジェイ美術館に到着。時間は12時10分前。1時間ほど、この美術館で楽しむことにする。

裸一貫からスタートし、デパート「ラ・サマリテーヌ」を創設した19世紀の人物、コニャック夫妻のコレクションがここにある。

成り上がりものと言われてしまうだろう、コニャックだが、ここにある作品は本当に可愛らしく、他人に見せるためのコレクションではなく、彼自身が本当に喜ぶためのコレクションだったのではないかな、と思う。

孤児であり、実子に恵まれなかったという彼は、子供の作品を特に好んだという逸話を聞いたので、そう思うのだろうが、本当に小さな親密なるものの世界がここには広がっている。

セーヴル、マイセンもそうだし、ヴァトー、フラゴナール、グルーズ、ラ・トゥールにしても、仰々しい作品がここにはない。グルーズの子供達のいたいけ目は、少女マンガに通ずるかのようなそんな世界だ。

美的感覚を鍛えるための美術館ではなく、コニャックと一緒に、おままごとのようなコレクションを慈しむのがいい美術館なのかな、と思う。

ランブロワジーへ  
このレストランを訪れることも、私のパリ訪問の最大の目的の一つだ。2年越しの3回目の訪問になる。

ヴォージュ広場のカフェは、人で溢れれている。回廊脇では、アメリカの女性が水彩画を描いている。これぞパリ!

1時を少し過ぎて、いつもの厳しい支配人に予約してある旨を告げる。こちらは顔がほころんでしまっている。

タペストリーの部屋に通された。この部屋では一番乗りだが、奥の部屋の団体は既に盛り上がっているよう。
 

10月だが、カルトはいつもの夏(エテ)の女神が微笑んでいる。シャンパーニュを飲んで、カルトと楽しんでいるうちに、ご高齢のお一人様と、中国系のカップルと、フランス人カップルとアメリカ人カップルの4名がやってきた。

今回は、4年前と同じアントレと、メインは変えてみようと思い、それを注文する。メートルに、3回目なのです、また来れて嬉しくて仕方がないのです、と告げる。

ワインはボルドーのフルボトルにする。本当に素敵な時間の始まりだ。

中庭を望むことが出来る。ボーと見ていたら、メートルが窓を開けてくれた、レースのカーテンが風に揺られ動くさまは、本当にきれいだった。
 

途中、最期のテーブルに、常連さんがお一人で来た。彼のメインである、丸ごとの鳩が運ばれた時、私とフランス人の女性の目は、完全に鳩に心奪われていた。

チーズとデセールと進み、満足でとろけてしまいそうな頃に、シェフが直筆してくれた、今日の料理とサインが入った、小さなカルトを持ってきてくれた。こんなことは初めてだったので、本当に嬉しかった。
 

2年前にたまたまお手洗いで、シェフと対面したことは会ったが、とてもシャイな方という印象だった。

シェフのパコーさんも50歳を超えているという。あと何回来れるのだろうかと、時間との闘いだからこそ、今日の料理を心行くまで味わおうと、たっぷりと楽しんだ。

フランス歴史博物館(スービーズ館)
ランブロワジーを出て、ほろ酔い気分のまま、スービーズ館を目指す。古典様式のお屋敷の外観と中庭が大好きで、よく通っている。パリの古典様式は人間にとても優しい気がして、気にいっている。

その古典的様式のお屋敷の部屋に、パリはおろか、フランスを代表するロココ様式の部屋がある。オーバルサロンがそれで、中に入ると溜息だ。
 

くるくるとワルツを踊りたい、そして目がくらくらになったところで、仰向けになってこの部屋の天井を見てみたいなというのが、私の密かな夢だ。

メレンゲのお菓子のように、力を入れたら崩れてしまう、その柔らかさと儚さがここにはあって、いつ来ても本当に嬉しくなる。
 

時間がまだある、8区のカモンド美術館まで足を伸ばそうと、フラン・ブルジョワ通りを突き進み、ポンピドゥー裏までやってくる。

土曜日の午後、タクシーは止まっているが、運転手は何処かでお休み中らしい。

仕方がないので、エティアンヌ・マルセル通りまで歩いて、向こう側を走るタクシーを呼び止め、モンソー公園までお願いする。

ニッシム・ド・カモンド美術館
モンソー公園に着いた。既に4時半を回っている。結婚式の写真をここかしこで取り合っている。大急ぎで、通り抜け、モンソー通りのニシム・ド・カモンド美術館に入る。

5時で閉まるのよ、後10分で見てねといわれ、学生料金にしてくれた。

19世紀パリで成功した、ユダヤ人銀行家が、第一次世界大戦で戦死した息子の名前をつけ、この美術館は出来た。

ジャックマール・アンドレ美術館は、その収集家の特異な素晴らしいセンス(イタリア・ルネッサンスへの愛好など)によって特徴つけられるが、こちらは19世紀上層ブルジョワの憧れであった18世紀の貴族文化を真似た館を見ることが出来るという意味で、典型的な、しかも大変洗練された、ブルジョワ趣味の美術館である。
 

だが、ユダヤ人であったカモンド家は、最期には、ナチスによって虐殺された事実を知ると、これらのコレクションも、失われたベル・エポックの輝きではなく、背筋が凍るコレクションとして映ってくる。

私は、全ての部屋を記憶に残すよう、記憶のシャッターを切る。そして、明日また来ればいいのにという係員に、だめなんだよ、今日もう東京に帰るんだ、でもまた来るよとと返事をして、後にする。 

ムリスでお茶
19時にホテルに戻ればいいので、何処かでお茶をしようと考える。ホテル・ムリスの喫茶室が変わったということを読んだので、そこにいってみようと思い、ムーリスを目指す。

パリは歩くのが楽しい、ということで、マルゼルブ大通りを歩く、15分ほどで突き当りのマドレーヌ教会にぶつかる。そのまま、ロワイヤル通りを通って、サン・トノレ通りで折れ曲がる。

日本の雑誌で見た、日本未発売と言うネクタイ・ケースを見せてもらおうと思い、モラビトに立ち寄る。

日本人の店員に対応してもらい、ネクタイ・ケースはもう販売していないことを教えてもらう。そうなんですか、残念ですと、話をしてお店を出る。

お客様より決して目立ちませんという日本人店員の服装と、どんなことがあってもお客様より目立ちますというフランス人店員の服装の対比が面白いなと思った。

しかし、この頃のモラビトは、クールでシック。かっこいいなあと見回してしまった。
 

途中でウィンドウ・ショッピングをしながら、カスティリヨンヌ通りを折れ曲がり、リヴォリ通りにあたる。既に時間は6時。

ムーリスに入ると、突然、新しいカフェ、ル・デリに入る。今までのジャルダン・ディベールは、奥に続くエレベーターホールをつなぐ動線と、花壇で明確に切り離されていたが、今回は、隣のバーと、ル・デリがロビー全体に広がってしまい、その中を通らないと、エレベーターホールに行くことができないようになっていた。

確認すると、ご自由にお座りくださいということなので、ソファ席を選ぶ。

紅茶が欲しいといって、紅茶のメニューを持ってきてもらう。アールグレイにして、ミルクもお願いする。

天井を見上げると、布をかぶせていて、そこには絵が書かれている。作者とホテルの意図を知らずに、この絵を見ると、茶色のゆがんだ人間のようなものは煩悩を表しているのかなと思ってしまう。

インテリアも、ロココ様式から、帝政様式に変わっていて、クリヨンの方が明るく感じるほどだ。

ただ、扉が前面ガラス張りになって、中を見ることが出来るレストランは、昔のままの華やかなままで安心する。

紅茶を持ってきたサーヴィスに、ずいぶん変わってしまったのですね、と声をかける。

紅茶は流行の土瓶に入っている。パリの紅茶なので、味は期待できない。お茶の葉が少なすぎる。

コニャック・ジェイ美術館で買った、ヴァトーのスケッチ集を見て、彼が振る舞いを持った人間を、陶器の人形のように仕立て上げ、前から、後ろから描いていく様を見る。すごいよーと心の中で大歓声。

もうそろそろ19時。もう、ディナーのセッティングのため、今からお茶をすることは出来ないらしく、多くの人が断られている。

天井画が取り替えられればと思うが、便利な場所にあるカフェとして利用価値は高いなと思う。 

さようなら、パリ
チュイルリー公園から顔を見上げると、茜色とグレーが織り成す空に、一つ白い飛行機雲がエッフェル塔にかかっている。本当に、素敵な空だな。

ルーヴル美術館のピラミッドの脇を通り抜け、クール・カレに差し掛かるとき、音楽大学の学生達が、カノンを弾いていた。大好きな曲だ、皆と私もお付き合いをして、心地よいメロディを楽しむ。

曲が止み、拍手が起こり、私はお金を投げ入れた。こんな奇跡の瞬間が、パリでは毎日行われる、なんという街なのだろう。
 

ボン・デザール橋から、シテ島にお別れをいう。

ホテルに戻ると、いつもの優しい彼女がいた。私のレストランを頼んでくれたのは、彼女だったのだ。今朝渡したお手紙を本当に喜んでくれ、握手をしてきてくれた。

タクシーを待つ間、しばし話をする。本当に楽しかった。レストランも本当に良かったですよ、今度パリに来る時も、このホテルにするよと伝えたら、本当にそうして、何処でも予約してあげるから、任しておいてといってくれた。
 

最期にタクシーが来た時、ホテルの外までスーツケースを運んでくれて、また握手をして、またねと挨拶をした。今日、何度目かの、絶対またパリに来ようという決心をする。
 
 
 

タクシーは、セーヌ川沿いに進み、既に青味がかったエッフェル塔に近づく。アルマ橋を渡り、マルソー通りを直進し、凱旋門にぶつかった。本当に重厚感がある建物だな。

凱旋門を半周し、じっくりと眺めた後、そのまま北上し、環状線にぶつかる。後は、シャルル・ド・ゴール空港まで、そして、成田までの旅。
 
 
 
 

最期に、ホテルとランブロワジーへの感謝のお手紙を投函すれば、今回の旅行はお終い。
 

18世紀フランス絵画を万遍に味わうには、ロンドンに匹敵するコレクションを持つ、ベルリンに行かなくてはならない。でも、ドイツはいつまた行くことができるのかな。

おしまい

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