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シャッポシノワ 様 の
フランス語を使って アパルトマンで暮らす
パリとブルージュ紀行
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updated on 13 Oct.2007
10 Nov.2007 写真追加
Special thanks to rohmer no aki sama!
(2006年9月 シャッポシノワ 様)
 
自己紹介
 
 
 

シャッポシノワ: この旅、英語は一切使わずに、仏語だけで乗り切るのが目標。
 

親友N:

1 (火) 成田〜パリ パリ
アパルトマン泊
2 (水) パリ
アラブ地区 〜サンジェルマン
同上
3 (木) ブルージュ 同上
4 (金) パリ
エッフェル塔 〜リュクサンブール公園 〜買い物
同上
5 (土) パリ
サント・シャペル〜パレ・ド・トーキョー 〜買い物
同上
6 (日) ポンピドゥーセンター 
パリ発〜
機内
7  (月) 〜成田
 

 
 
 
 
 
 
1日目 (火)出発
 
成田空港で待ち合わせ。いつもは乗り継ぎの格安航空券で行くのだが、今回は初めて社会人として夏休みの旅行。

夏の混雑期で時間を優先させたため、わたしも親友Nも生まれて初めての直行便(JAL)でヨーロッパへ。

各座席にプライベート・モニターがついていて、オンデマンドで映画を楽しめるなんて夢のよう、との飛行機自体にウキウキ。

ちなみにわたしもNも150cm前後の身長で、機内の中央スクリーンなんてしっかり見られた試しがない。

パリ到着
 
16:00過ぎ、ドゴール空港着。

ロワシーバスでまずは市内へ。この旅、英語は一切使わずに、仏語だけで乗り切るのが目標なので、現地の人々と会話はわたしが担当。
 

今回ふたりとも新生銀行のキャッシュカードを持参している。目についたATMで、部屋代と翌日分の現金を引き出した。

今回の所持金は日本円5千円くらい。現地では買物はクレジットカード、現金は適宜ATMで引き出す予定。
 
 

管理人補記

カードのエラーや紛失、またATMのストもありますので、必ず何万円かぐらいは、どこかに隠してでも持参をすすめます。

オペラ着
 
Nは、スーツケースではなく、大きなバッグをキャリーに積んで転がしている。が、括り付け方が甘く、定期的にバッグがキャリーから落ちる。その度にキャリーに乗せ直すが、見た目以上に大変な作業の様子。

今までは二人ともいつもバックパックだったので、体一つで移動できたけれど、キャリーのような荷物を運ぶとなると、前後に幅が必要なので距離感がうまくつかめない。

また二人とも背が低い。自然とキャリーを引く手の位置もかなり低く、地面とキャリーの角度がどうしても鋭角になり、一般の人よりも余計に前後に幅をとっている気がする。

ただでさえ、スーツケースの扱いに慣れていないのに、オペラ座付近の人通りが激しいところでは特に、バックパックの利便性を痛感した。あれなら身軽に信号も走って渡れる・・・。

それでも今回は、大人であることを意識してスーツケースと直行便の初体験2点セット。できる限り颯爽と歩く。 
 
 

アパルトマンの住所が・・・愕然
 
宿泊はホテルではなく、アパルトマンを借りた。ネットを通じて日本人女性2人が暮らしているアパルトマンの一室を借りてみた。

ところが、住所を書き記したメモを忘れたことに気付き、愕然。血の気が引いた・・・。
 
 

通りの名前は覚えているが、番地が思い出せない。

Googleマップでその通りのどの辺りか確認済みだけれど、問題はエントランスのオートロック解除のパスワード。

わたしもNも、海外で利用可能な携帯電話をそのまま持参。しかし、そこにアパルトマンの情報を登録し忘れていた。

結局、ロワシーバスを降りた後、急いでオペラ付近のインターネットカフェで、メールチェックをして住人の携帯番号を再確認し、事無きを得た。

けれど、忘れ物に気付いたときは本当に頭が真っ白に・・・。 
 
 

アパルトマンへ
 
タクシーで レピュブリクのアパルトマンへ。いよいよ初めての仏語会話。

思っていたよりもスムーズに言葉が出てきて、会話を楽しむ余裕も。やっぱり仏語を話すだけで、壁が一つ取っ払われる気がする。

カンボジアからの移民のドライバーはわたしたちがアジアからの客ということで、メーターに表示された料金よりもおまけしてくれた。
 
 

10区 Beau Repair通りにアパルトマンはある。

期待していたとおり、着いてみれば カフェ Chez Pluneがはす向かいに位置し、サンマルタン運河も数十歩で行ける、素晴らしい立地。

アパルトマンの居住者が近所のおいしいパン屋やレストラン、本屋やインテリア雑貨の店などをまとめていてくれており、とても助かった。通りにはインテリア雑貨の店や書店など、雑誌でもとり上げられた店がたくさん並んでいて、2次元で見つめていた世界が、ついに3次元に。

 
18:00時過ぎ、アパルトマンに到着。小さなエレベーターで階へ。連絡を取り合っていた居住者が仕事から一時的に自宅に戻って、出迎えてくれた。もう一人の居住者は早朝の仕事を終え帰宅後、すでにくつろいでいた。

パリ・コレクションが始まる時期で、居住者の友人だという日本人モデルがパリ・コレ出演のために同じアパルトマンに泊まりに来ていた。

都合、同世代5人での共同生活に。
 
 

忘れないうちに、部屋代を支払う。二人で5泊で、300ユーロ。広いリビングに、バスタブ付きのバスルーム。テーブルと椅子が置かれたバルコニーに材料の揃ったキッチンもついて、この立地。使わせてもらう部屋には、二つのベッドと小さなテーブル。

今日から、ここが我が家。

鍵を受け取ったので、チェックアウトの時間制限も無し。帰国するときはポストにこの鍵をいれて出れば、OK。
 
 

居住者が夕食を用意してくれていたので、仕事に戻った一人を除いて、4人で食事をしながらいろいろな話をする。全員が同世代なこともあり、和やかに打ち解けて、楽しい食事に。

朝5時からパン屋で修行している人、パリ・モーターショーの準備で連日遅くまで働く人、毎日いろんなブランドのキャスティングに出向く人、そして観光客のわたしたち。

以降、それぞれがそれぞれのペースで生活する。

つかず離れずの心地よい距離感で、初対面同士の共同生活とは思えない程快適だった。


 
 

憧れのコレクションのバックステージでの話を聞いたり、東京・パリのファッション情報の交換など、モデルとの共同生活は、わたしたちには思いがけない、オプションだった。

ちなみにNは カメラマンで、独立前に海外の某有名ファッション紙の撮影のアシスタントをした際、実は彼女がモデルとして撮影の場にいて、面識があった。後日彼女のブックを見ていて、判明する。 
 

7しゅう年 きー わー ド

「る」


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